151. Catch the moment!!
Catch the moment!!その瞬間を逃すな!!
絶賛キャンペーン中の私は(またこの話よ・笑)自分でもしつこいぐらい、このフレーズを心の中で繰り返しています。
公開されて8日で4回観に行きました(呆れた?)
けどね・・・ロングランにならなければ、最短2週間で打ち切りになってしまうという現実。
そんなことになったら、もうDVDが出るまで見れないもん。
いや、スクリーンとTV画面じゃ臨場感が違うからーー。
同じ映画を4回も劇場で観たのは初めてです。
そして、私、この年にして『ひとり映画』デビューしたんです。
基本、ひとりでご飯とか、ひとりでショッピングとかできないへタレな女なんです。
それが、ひとり映画デビュー。
ひとりでだって観に行きたい映画。
ナオト・・・相当大きな存在です(笑)
けど、やっぱ興味の問題なのかな~。
実際そうだよね・・・ナオトが旅をして、人と触れて、それが彼の音楽に形を変える・・・ドキュメンタリーなんか、興味がないと観ないよね^^;
ファンしか観ないんじゃないの?と言われても、それは間違いじゃないよね(T_T)
半分はノートになってるパンフレット。
そこにはチケットを貼ろうと思います。
ハマル族との生活で感じたこと。
ぼーっとすることは大事なこと。
家のことや家畜のことなどすることはあるんだが、
それ以外の時間、彼らは基本、ぼーっとしていた。
最初、何かしていないと落ち着かなくて、ソワソワしていたんだが、
そのうち、一緒になってぼーっとすることがすごく開放的になっていった。
今、我々、いわゆる若者世代は、ケータイに忙しい。
常に触っていないと落ち着かない。
電車待ち、電車に乗っている間、仕事や学校の合間、さらには、
信号待ち、エレベーター待ちの30秒、じっとしていることができず、ついケータイをいじってしまう。
朝起きて、誰からもメールも着信もないとさびしい。
Facebookでいいね!が少ないとさびしい。
本来、なかったらなかったで大丈夫なんだが、そういった気持ちになってしまうことは、
半ばケイタイ依存であり、もはや中毒に近い状態なんだと思う。
自分もそうだ。
エチオピアに向かうため、成田を発ってからの機内で、あぁ、今頃誰からかメールが来ているんじゃないか。
経由地のドバイではネットはつながるだろうか、を無意識に考えていた。。
例えば、信号待ちでケータイをいじらなかったら、どうしているだろう。
ぼぉっとする時間。
本来、この時間は心が豊かである大切な時間だったのではないか。
「あー今年の夏、あそこ行ったりして、楽しかったな。」と過去を振り返ったり、
「そーいえば、あれやらなきゃ」と現在のことを考えたり、
「いつかあんなことしたい」と未来の夢を思い浮かべ、ワクワクしてにやけたり。
そんな過去、現在、未来を思い、自分と対峙する貴重な時間。
あるいは、「あいつ、どうしてっかなぁ・・・?」っと、誰かを想う、大切な時間。
そういった心のスペースを知らず知らず、携帯が埋めてしまっているのではないだろうか。。
ケイタイをいじってるその間に、目の前で起きていることに気がつかないことがある。
流れ星がシューっと、、、
UFOが通り過ぎる。。
鳥達がじゃれあってる。。
カップルがじゃれあってる。
UFOがじゃれあってる。(あんまないか。。笑)
かっこいい人が通り過ぎた、、、
夕日がしずむあの瞬間、、、
街がだんだんと紅葉していくさま、、etc
その瞬間を逃すな!
ケイタイを見ている間に周りでは何か起きている。
友達、家族といてもいじっている人がいる。
今、返さなきゃいけないメールを返したり、連絡するならまだしも、
おそらく、今、この場、この瞬間で、どーしてもチェックしなきゃいけない誰かのフェイスブックなどは、
そんなにないのだろう。
もしかすると、そこでの仲間や家族との会話の中に自分にとって大事なキーワードがあったかもしれない。。
あるいは、誰かがあなたに伝えようとしているその時、もし、あなたが携帯をいじってたとして、
あ、取り込んでいるから、といって気を遣って伝えるのをやめてるかもしれない。
これもまた大事なコミュニケーションのすき間をうめてしまっているのだ。
その瞬間を逃すな!
例えば花火大会。目の前に花火があがっているのに写メを撮るのに必死。
きっとその集中力や、その感動は半減してるんだろう。。
例えば、ディズニーのパレード。
キャラクターを撮ったその写真や、ビデオ動画を後で家に帰って何回見返すことがあるだろうか。。
だとしたら、その瞬間をめいいっぱい楽しむことの方が大事なんじゃないかなぁ。
エチオピアに行く前までの自分は、歩きながらケイタイをいじることもあった。
んで、途中で気持ち悪くなってたいていしまうんだが。。
ほんとに、ケイタイ、今?見なきゃいけない?ってことだよね。。
あんなの体にいい訳がない。
歩きながら、揺れながら、あんなちっちゃな文を読もうとするんだから。。
目にも脳にも精神にも、何かしらの負担は確実にあるよね。。
だから、最近は必要なら、立ち止まってケイタイを見るようにしている。
ケイタイだけでなく、PCでのネットサーフィンなんかもそうだ。
意志のない中で、気がついたら、平気で1~2時間経っていることがある。。
意志のあるうえでの検索や、情報キャッチは大事にしても、
PC立ち上げ時の「とりあえずサーフィン」。。
あ、もうこんな時間。。
時間がもったいなかったかなぁ、、無駄なのかもなぁ、っと、ここ数年思っていたし、
うすうす気がついてはいたんだが、やめたくてもやめられない依存に自分も完全におちいっていた。
雑な表現や計算で申し訳ないが、
ケイタイをいじっている時間やPCでネットサーフィンする時間が一日に2時間くらいあったとして、、、
それらをやめたら、
例えば、1週間に映画を5本見れる。本を2冊読める。
忙しくて最近映画を見れてないと自分に言い訳したりしていたが、
何に忙しいのかってことが重要だったりして。
ほんとに忙しいのか。さらに自分で心まで忙しくしてしまっているのか。。
もっと大胆に話を進めると、
24時間分の2時間って考えるとよ、、、
約分すると、、1/12。12分の1・・・・
ん?ちょっと待て。
まじか!?
12ヶ月のうち1ヶ月だと?!
1年のうち1ヶ月も無駄にしてんのか。。オレ。。
ざっくり、、、一生で7年。。
生涯7年間も??!!
7年あったら、何でもできちゃうんじゃ?
オリンピック目指したりできちゃうんじゃ?笑
あんなことこんなこと。
うわー、、、こわっ。怖すぎるぞーーー!!
危ない危ない!!
オレ、エチオピアに行かなかったら、うすうすどっかで気が付いてはいたはずなのに、
やめられない弱い自分に負けたままだったかもしれない。
支配された情報におぼれている時間はその場からまったく進んでない。
意思を持ってキャッチする情報は、自分のやりたいことや夢にちょっとでも進んでるんだと思う。
友達とつながっているような、安心という名の「情報」を自分の周りに敷き詰めすぎていると、
それがない時の孤独感は倍増していく。そしてその孤独感を感じないために、もっとモバイル上で、
つながろうと情報キャッチの波におぼれる。。。
そういった依存のマイナススパイラルはもう始まってしまっているんじゃないかと思う。
もちろん、ケイタイやPCは便利であり、現代のコミュニケーションツールとしても大事である。
今の生活、活動においてはなくては必要なものなんだと思う。
だからこそ、ちゃんと向き合おうって思ってる。
情報に支配されるのではなく、自分から意志を持ってコントロールしてやろうって。
あれ以来、ケイタイやPCは、暇つぶしには開かず、必要性のある時に意思をもって開くようにしている。
それ、本当に今じゃなきゃ駄目? 今、必要か?と、自分に問いながら。。。
心のすきま、、スペースをあけておくと気持ちがいいもんだ。
感性がだんだん研ぎ澄まされていっててさぁ。
エチオピアで心の革命が起きて、いろいろやめて、意識し始めると、すぐ成果が現れた。
帰国最初のライブ、沖縄のシグマFesで音の聴こえ方が劇的に変わったのだ。
音が体の毛穴から染み渡ってくる感覚。
心のスペース、すき間、感性のすき間があるから、音を聴覚だけでなく、全身で感じられるのだ。
今日も空をぼぉっと眺めてた。
筋雲が綺麗だった。
ハマル族のみんなは元気かな。。
そんなことを思った。
ハマル族が教えてくれたこと、
「ぼぉーっとすること」はいいもんだ。
心の風通りがいいんだよなぁ。。
絶賛キャンペーン中の私は(またこの話よ・笑)自分でもしつこいぐらい、このフレーズを心の中で繰り返しています。
けどね・・・ロングランにならなければ、最短2週間で打ち切りになってしまうという現実。
そんなことになったら、もうDVDが出るまで見れないもん。
いや、スクリーンとTV画面じゃ臨場感が違うからーー。
同じ映画を4回も劇場で観たのは初めてです。
そして、私、この年にして『ひとり映画』デビューしたんです。
基本、ひとりでご飯とか、ひとりでショッピングとかできないへタレな女なんです。
それが、ひとり映画デビュー。
ひとりでだって観に行きたい映画。
ナオト・・・相当大きな存在です(笑)
けど、やっぱ興味の問題なのかな~。
実際そうだよね・・・ナオトが旅をして、人と触れて、それが彼の音楽に形を変える・・・ドキュメンタリーなんか、興味がないと観ないよね^^;
ファンしか観ないんじゃないの?と言われても、それは間違いじゃないよね(T_T)
そこにはチケットを貼ろうと思います。
ハマル族との生活で感じたこと。
ぼーっとすることは大事なこと。
家のことや家畜のことなどすることはあるんだが、
それ以外の時間、彼らは基本、ぼーっとしていた。
最初、何かしていないと落ち着かなくて、ソワソワしていたんだが、
そのうち、一緒になってぼーっとすることがすごく開放的になっていった。
今、我々、いわゆる若者世代は、ケータイに忙しい。
常に触っていないと落ち着かない。
電車待ち、電車に乗っている間、仕事や学校の合間、さらには、
信号待ち、エレベーター待ちの30秒、じっとしていることができず、ついケータイをいじってしまう。
朝起きて、誰からもメールも着信もないとさびしい。
Facebookでいいね!が少ないとさびしい。
本来、なかったらなかったで大丈夫なんだが、そういった気持ちになってしまうことは、
半ばケイタイ依存であり、もはや中毒に近い状態なんだと思う。
自分もそうだ。
エチオピアに向かうため、成田を発ってからの機内で、あぁ、今頃誰からかメールが来ているんじゃないか。
経由地のドバイではネットはつながるだろうか、を無意識に考えていた。。
例えば、信号待ちでケータイをいじらなかったら、どうしているだろう。
ぼぉっとする時間。
本来、この時間は心が豊かである大切な時間だったのではないか。
「あー今年の夏、あそこ行ったりして、楽しかったな。」と過去を振り返ったり、
「そーいえば、あれやらなきゃ」と現在のことを考えたり、
「いつかあんなことしたい」と未来の夢を思い浮かべ、ワクワクしてにやけたり。
そんな過去、現在、未来を思い、自分と対峙する貴重な時間。
あるいは、「あいつ、どうしてっかなぁ・・・?」っと、誰かを想う、大切な時間。
そういった心のスペースを知らず知らず、携帯が埋めてしまっているのではないだろうか。。
ケイタイをいじってるその間に、目の前で起きていることに気がつかないことがある。
流れ星がシューっと、、、
UFOが通り過ぎる。。
鳥達がじゃれあってる。。
カップルがじゃれあってる。
UFOがじゃれあってる。(あんまないか。。笑)
かっこいい人が通り過ぎた、、、
夕日がしずむあの瞬間、、、
街がだんだんと紅葉していくさま、、etc
その瞬間を逃すな!
ケイタイを見ている間に周りでは何か起きている。
友達、家族といてもいじっている人がいる。
今、返さなきゃいけないメールを返したり、連絡するならまだしも、
おそらく、今、この場、この瞬間で、どーしてもチェックしなきゃいけない誰かのフェイスブックなどは、
そんなにないのだろう。
もしかすると、そこでの仲間や家族との会話の中に自分にとって大事なキーワードがあったかもしれない。。
あるいは、誰かがあなたに伝えようとしているその時、もし、あなたが携帯をいじってたとして、
あ、取り込んでいるから、といって気を遣って伝えるのをやめてるかもしれない。
これもまた大事なコミュニケーションのすき間をうめてしまっているのだ。
その瞬間を逃すな!
例えば花火大会。目の前に花火があがっているのに写メを撮るのに必死。
きっとその集中力や、その感動は半減してるんだろう。。
例えば、ディズニーのパレード。
キャラクターを撮ったその写真や、ビデオ動画を後で家に帰って何回見返すことがあるだろうか。。
だとしたら、その瞬間をめいいっぱい楽しむことの方が大事なんじゃないかなぁ。
エチオピアに行く前までの自分は、歩きながらケイタイをいじることもあった。
んで、途中で気持ち悪くなってたいていしまうんだが。。
ほんとに、ケイタイ、今?見なきゃいけない?ってことだよね。。
あんなの体にいい訳がない。
歩きながら、揺れながら、あんなちっちゃな文を読もうとするんだから。。
目にも脳にも精神にも、何かしらの負担は確実にあるよね。。
だから、最近は必要なら、立ち止まってケイタイを見るようにしている。
ケイタイだけでなく、PCでのネットサーフィンなんかもそうだ。
意志のない中で、気がついたら、平気で1~2時間経っていることがある。。
意志のあるうえでの検索や、情報キャッチは大事にしても、
PC立ち上げ時の「とりあえずサーフィン」。。
あ、もうこんな時間。。
時間がもったいなかったかなぁ、、無駄なのかもなぁ、っと、ここ数年思っていたし、
うすうす気がついてはいたんだが、やめたくてもやめられない依存に自分も完全におちいっていた。
雑な表現や計算で申し訳ないが、
ケイタイをいじっている時間やPCでネットサーフィンする時間が一日に2時間くらいあったとして、、、
それらをやめたら、
例えば、1週間に映画を5本見れる。本を2冊読める。
忙しくて最近映画を見れてないと自分に言い訳したりしていたが、
何に忙しいのかってことが重要だったりして。
ほんとに忙しいのか。さらに自分で心まで忙しくしてしまっているのか。。
もっと大胆に話を進めると、
24時間分の2時間って考えるとよ、、、
約分すると、、1/12。12分の1・・・・
ん?ちょっと待て。
まじか!?
12ヶ月のうち1ヶ月だと?!
1年のうち1ヶ月も無駄にしてんのか。。オレ。。
ざっくり、、、一生で7年。。
生涯7年間も??!!
7年あったら、何でもできちゃうんじゃ?
オリンピック目指したりできちゃうんじゃ?笑
あんなことこんなこと。
うわー、、、こわっ。怖すぎるぞーーー!!
危ない危ない!!
オレ、エチオピアに行かなかったら、うすうすどっかで気が付いてはいたはずなのに、
やめられない弱い自分に負けたままだったかもしれない。
支配された情報におぼれている時間はその場からまったく進んでない。
意思を持ってキャッチする情報は、自分のやりたいことや夢にちょっとでも進んでるんだと思う。
友達とつながっているような、安心という名の「情報」を自分の周りに敷き詰めすぎていると、
それがない時の孤独感は倍増していく。そしてその孤独感を感じないために、もっとモバイル上で、
つながろうと情報キャッチの波におぼれる。。。
そういった依存のマイナススパイラルはもう始まってしまっているんじゃないかと思う。
もちろん、ケイタイやPCは便利であり、現代のコミュニケーションツールとしても大事である。
今の生活、活動においてはなくては必要なものなんだと思う。
だからこそ、ちゃんと向き合おうって思ってる。
情報に支配されるのではなく、自分から意志を持ってコントロールしてやろうって。
あれ以来、ケイタイやPCは、暇つぶしには開かず、必要性のある時に意思をもって開くようにしている。
それ、本当に今じゃなきゃ駄目? 今、必要か?と、自分に問いながら。。。
心のすきま、、スペースをあけておくと気持ちがいいもんだ。
感性がだんだん研ぎ澄まされていっててさぁ。
エチオピアで心の革命が起きて、いろいろやめて、意識し始めると、すぐ成果が現れた。
帰国最初のライブ、沖縄のシグマFesで音の聴こえ方が劇的に変わったのだ。
音が体の毛穴から染み渡ってくる感覚。
心のスペース、すき間、感性のすき間があるから、音を聴覚だけでなく、全身で感じられるのだ。
今日も空をぼぉっと眺めてた。
筋雲が綺麗だった。
ハマル族のみんなは元気かな。。
そんなことを思った。
ハマル族が教えてくれたこと、
「ぼぉーっとすること」はいいもんだ。
心の風通りがいいんだよなぁ。。
by odorunonki
| 2013-04-22 19:59
| ビタミン